大判例

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大阪高等裁判所 昭和30年(ツ)8号 判決

上告人 被控訴人・原告 国

代表者 法務大臣 牧野良三

指定代理人 大畑定一 外三名

被上告人 控訴人・被告 吉田幸次郎

訴訟代理人 谷川竜之助

主文

原判決を破棄し、本件を奈良地方裁判所に差し戻す。

理由

本件上告理由は、末尾添付の上告理由と題する書面に記載のとおりであつて、これに対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

按ずるに、数次にわたる所有権移転、たとえば甲より乙、丙へと順次なされた所有権の移転が、いずれも無効であれば、甲において所有権に基き、乙、丙に対し、各取得登記の抹消請求権を有することは、論なきところであるが、乙も亦甲の抹消登記請求権を実現せしめるため、丙に対し、その取得登記の抹消を求め得るものと解するを相当とする。けだし、甲は必ずしも、乙、丙両名に対し、同時に右抹消を求めるの要なく、まず、乙に対し、その登記の抹消を請求することを妨げないのであり、乙は、これに応じ、甲の所有名義を回復せしめる責務ある関係上、その前提として、丙名義の登記の抹消を求める権利あるものというべきであるからである。

いま、これを本件についてみるに、上告人は、訴外辻本千代野所有農地に対する買収処分及び当該農地の被上告人に対する売渡処分が、いずれも無効であり、従つて、右各処分に基く嘱託によつてなされた上告人及び被上告人の各所有権取得登記も亦無効であるとの理由の下に、被上告人に対し、右登記抹消の承諾を求めるものであつて、上告人主張の買収、売渡各処分の無効が是認せられるにおいては、右辻本千代野より上告人、被上告人に対し、各所有権取得登記の抹消を求め得るは勿論であるが、上告人も亦、被上告人に対し、その所有権取得登記抹消の承諾を求める権利あること叙上説示のとおりであるにかかわらず、原審が、上告人の主張自体に照し、上告人に右抹消の承諾を求める権利なきものとして、上告人の請求を排斥したのは、法律の解釈を誤つたものであつて、論旨は理由あり、原判決は破棄を免れない。

よつて、民訴法第四〇七条に従つて、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 吉村正道 判事 大田外一 判事 金田宇佐夫)

上告の理由

原判決には判決に影響を及ぼすこと明かな法令の解釈適用を誤つた違法がある。

一 そもそも登記原因が不成立、無効である場合又は取り消された場合に、一体如何なる者が抹消登記請求権を有するかという問題は、結局その登記請求権が如何なる原因乃至根拠に基いて発生するかという問題に帰着し、従つてその登記請求権の発生原因を明かにすることによつて自ら右の登記請求権者如何という問題も解決されるのである。そこで先ず抹消登記請求権の発生原因如何ということになるが、これについては、抹消登記請求権は(一)実体的な権利の効力として発生する外(二)消極的な形式上の物権変動の事実そのものに基いても発生するものと考えられる。

二 (一) 先ず抹消登記請求権は実体的権利関係と登記簿上の権利関係とが符合しない場合に、これを符合させるために、実体的な権利の効力として法律上当然に発生する。この場合の登記請求権は実体上の権利者が登記簿上の表見権利者に対し、登記面における不一致を排斥して、自己の「物権ノ本来ノ内容ニ適セシムルコトヲ目的トシ」(大判昭和三年十一月八日民一集七巻一二号九七〇頁)、物権本来の内容を保全せんとするものであつて、実体的な権利より派生する一種の物権的請求権たる性質を有するものである。従つてこの場合登記請求権者は、実体上の権利者でなければならないと同時に、その者が権利を他人に譲渡するときは、それとともに登記請求権を失い、もはや登記簿上の表見権利者に対して登記の抹消請求をなすことは許されないものとされているのである。(右昭和三年十一月八日判決参照)

(二) ところが又抹消登記請求権は消極的な形式上の物権変動の事実そのものに基いても発生すると考えられている。すなわち、他人の虚偽の申請に基く権利変動の不正登記、錯誤、無能力者の行為、詐欺、強迫による権利変動の登記がなされ、一旦登記簿上形式的に物権変動が行われたが、この形式上の物権変動が登記原因の不成立、瑕疵によつて無効となり又は取り消されることにより、物権が形式上遡及的に原権利者に復帰する場合に、積極的な実体上の物権変動の場合と同様にその消極的な形式上の物権変動の過程をそのまま登記簿上に表示するため、物権変動の事実そのものに基いて、直接抹消登記請求権が当事者に発生するというのである(平野義太郎、「不正登記と其の抹消請求権」民商法雑誌七巻六号一二二頁、船橋諄一、「不動産登記法」新法学全集一一八頁、なお、我妻栄、判例民事法、昭和十二年度一四四事件評釈及び同「物権法」新版九一頁参照)。

おもうに、登記の目的は、不動産について現在の権利関係を一般に公示し、もつて不動産の取引の安全を図るにあるのであるから、先ず何よりも登記が現在の実体的権利関係に符合していることが必要であることはいうまでもないが、一方登記について形式的審査主義をとり、登記に公信力を認めない我が法制の下においては、第三者は不動産上の権利を取得するに当り、それに先行する物権変動の過程が真実有効に行われたか否かを審査する必要があり、従つて第三者に対しその変動の過程を登記簿上明かにすることによつてその調査の機会を与えることが併せて登記制度の目的とせられるのである。従つて、登記が単に現在の権利関係に符合するというだけでは足りず、更にそれに先行する物権変動の過程がありのままに登記簿上に表示されることが必要とされるのであつて(民法一七七条が「得喪及ヒ変更」について登記すべしとし、不動産登記法五〇条二項が登記原因の記載を要求しているのはこの趣旨を示すものである)、この点に鑑みるときは、積極的な実体上の物権変動の場合であると消極的な形式上の物権変動の場合であるとを問わず、いやしくも物権変動の事実があれば、その事実そのものに基いて直接変動の当事者に登記請求権が発生すると考えらるべきはけだし当然であろう。しかして判例をみるに、積極的な実体上の物権変動の場合については、判例は明かにこれを肯定している。すなわち、売買による不動産所有権の移転があつた場合には、その所有権移転の事実に伴つて当然に買主に所有権移転登記請求権が発生し、買主がその後その不動産を他に転売してその所有権を失つても、それによつて登記請求権を失わない旨判示しているのである(大判、大正五年四月一日民三、録二二輯六七四頁)。又、消極的な形式上の物権変動の場合についても、判例は、妻乙が夫の同意なくして自己の不動産上に丙のために抵当権を設定し、夫がこれを取り消した後にその不動産を甲に譲渡した場合においても、乙はなお丙に対して抵当権設定登記の抹消を請求し得ることを認め(大判明治三十九年六月一日民二、録一二輯八九三頁)、又甲が所有の土地を寄託の目的をもつて乙に譲渡し、その所有権移転登記を経由し、しかして乙は甲に対し甲の請求次第土地を同人に返還し、同人又はその指定する者に移転登記手続をなすべき旨約したところ、その後丙が乙名義を冒用し擅に該土地を自己に移転する登記手続をなしたときは、たとえ土地の所有権が既に乙から甲に返還され乙においてその所有権を有しない場合においても、乙は丙に対し右不正登記の抹消手続を請求し得るものとしている(大判昭和十二年十二月二十八日民集一六巻二四号二〇八二頁)。もつとも右判例は、抹消登記請求権発生の根拠について、「抵当権ヲ設定シタル債務者ガ抵当不動産ヲ他ニ売渡シタルトキハ、其買主ニ対シテ不動産ヲシテ負担ナキ状態ニ至ラシムベキ責任アリテ抵当権者ニ対シ抵当登記抹消ノ請求ヲ為スニ付キ正当ナル利益ヲ有スル者ナルガ故ニ、抵当登記抹消ノ請求ヲ為ス権利アリ」(明治三十九年六月一日の前掲判決)といい、又「乙ハ約旨ニ従ヒ甲又ハ甲ノ指定スル人ニ所有権移転ノ登記手続ヲ為スコトヲ要スルモノナレバ、此ノ義務ヲ履行スル必要上丙ニ対シ右不正登記ノ抹消手続ヲ請求スル権利ヲ有スルモノト謂ハザル可カラズ」(昭和十二年十二月二十八日の前掲判決)といつて、いずれもその根拠を登記関係の直接当事者以外の第三者たる新所有者に対する譲渡人の「負担ナキ状態ニ至ラシムベキ責任」、「義務ヲ履行スル必要」に求めているが、登記請求権は登記簿上の物権変動以外の第三者たる新所有者に対する譲渡人の責任とか契約上の義務に基いて発生するものでないことは明かであるから、判例のこの点に関する説明は訂正されねばならない(平野義太郎前掲判例批評参照)。しかして右判例における抹消登記請求権の根拠を(一)において述べたように、実体的な権利の効力に求め、抹消登記請求権即物権的請求権という理論をとるとすれば、右の判例の場合は、いずれも乙は既に不動産の所有権を甲に移転しているのであるから、丙に対する抹消登記請求権を失い、甲のみが抹消登記請求権を有するものといわなければならないのであつて、まさに判例の結論とは反対になり、これを否定しなければならないことになる。そこで判例の結論を是認せんとすれば、どうしても抹消登記請求権の根拠を消極的な形式上の物権変動の事実そのものに求めざるを得ないのであつて、すなわち乙の抹消登記請求権は丙の登記原因が取り消され又は不成立であることによつて生ずる消極的な形式上の物権変動の事実そのものに基いて発生するものといわなければならないと考える。又このように考えることによつて、右の二つの判例とさきに挙げた昭和三年十一月八日の判例との矛盾を防ぎ得るのである。しかしてこの場合登記請求権は物権変動の事実そのものに基いて発生するものであるから、登記請求権者は物権変動の当事者でなければならないが、実体上の権利者であることを要しない。この場合の登記請求権は実体的な権利の効力として発生するものではないからである。

三 以上述べたように、抹消登記請求権は実体的な権利の効力として発生する場合の外、消極的な形式上の物権変動の事実そのものに基いて発生する場合が考えられるのであつて、前者の場合には登記請求権者は実体上の権利者でなければならないが、後者の場合には物権変動の当事者であれば足り、実体上の権利者であることを要しないのである。

四 そこで本件について考えるに、本件は、奈良県知事の訴外辻本音吉に対する買収処分及び被上告人に対する売渡処分によつて、上告人のための所有権取得登記、次いで被上告人のための所有権取得登記がなされたが、右買収処分は、土地の所有者が訴外辻本千代野であるにかかわらず、誤つて所有者でない訴外辻本音吉に対してなされた点において重大且つ明白な瑕疵があるのみならず、同訴外人は既に死亡していたから、死者に対する行政処分として無効であり、従つて又被上告人に対する売渡処分も無効であるという事案である。そこで買収処分及び売渡処分が無効である以上、上告人及び被上告人はいずれも本件土地の所有権を取得しなかつたものであり、従つて土地の所有権は依然として訴外辻本千代野に属するから、同訴外人が二(一)で説明したところにより、被上告人及び上告人に対しその各所有権取得登記の抹消登記請求権を有することは明かであるが、それと同時に、買収処分及び売渡処分が無効であることによつて形式上本件土地の所有権が被上告人から上告人に、上告人から訴外辻本千代野に遡及的に復帰する場合であるから、上告人は二(二)で説明したところにより、その消極的な形式上の物権変動の事実に基いて、被上告人に対しその所有権取得登記請求権を有することも又明かであるといわなければならない。しかしてこの場合上告人が現在本件土地の所有権を有しないことは何等関係がないのである。しかるに原判決によれば、原審は、「仮に被控訴人(上告人)主張の如く右買収処分が無効であるとするも、直ちに被控訴人(上告人)が控訴人(被上告人)に対し前記売渡登記の抹消を請求し得るものと速断することができない。何んとなれば、登記原因が無効であるため実体上の権利関係と登記面の記載とが符合しない場合、登記面を実体上の権利関係に符合させるため、登記制度上当然生ずる権利が登記請求権であり、かく登記を実体上の権利関係に符合させるに付いて直接に登記簿上の利益を有する者がこの請求権の権利者である。従つて実体上の権利を有せず、又は登記簿の形式上当該の登記によつて権利者たるの表示を受くるに由なき旨は右登記簿上の利益を有しない者であつて、登記請求権者たりえないものというべきである。」として、実体上の権利者でなければ登記請求権者たり得ないという前提に立つて、上告人は本件土地の所有権を有しないから、被上告人に対する売渡登記の抹消登記請求権を有しないものと速断し、上告人の請求を棄却したのであつて、これは抹消登記請求権が実体的な権利の効力として発生する外、又消極的な形式上の物権変動の事実そのものに基いても発生するものであること、従つて実体上の権利者の外物権変動の当事者も又抹消登記請求権を有するものであることを看過したものである。よつて原判決には明かに判決に影響を及ぼすこと明白な法令の解釈適用を誤つた違法があり、速かに破棄さるべきものと考える。

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